2012年5月22日火曜日

展覧会に向けて

小沢裕子です。
どうぞよろしくお願い致します。

村山君が展覧会の経緯を紹介してくれたので、続けて、私が考えている事も書いていこうと思います。

まず最初に2011年5月。「世界と孤独」に寄せるステイトメントをメールでいただいて、すぐに袴田さんを近所の喫茶店に呼び出してしまったのを覚えています。震災直後、特別な反応を示せなかった私はきまりの悪さを抱えていたのですが、のどに詰まっていた不明なものが、のどにひっかかったままではあるけれど判明した様な気分になったからです。私は他人がどう思うのか気になって仕方なかったのだと思います。3.11をめぐる具体的な思いはここでは書きませんが、他者の「反応」に対する私の「二次的な反応」へ向かう意識は強まったのではないかと今になって思います。
そして今回。村山君と共有できる問題項、それは「私」へのアプローチです。私はこれまで、「自己の意識の往来」というような事を考えて制作してきました。いわゆる一人きりの作業です。そして今回は二人のコラボレーションも予定していて、わくわくしています。なぜなら、他者がダイレクトに入ってくるというか、他者を意識せざるおえない状況になるからです。今までは一般的な他者(そんなものは存在しないのだけど)として考えていた部分が、今回は限定した一人の他者として介入してきます。きっと同じものを見ていてもそれぞれの解釈は全く異なっていたりする。もしくは本当は同じ解釈をしているにも関わらず、使う言葉が違う為に同じ解釈だと思えないのかもしれない。しかしそもそも私たちは言葉で思考するのだから、やはり言葉が違えば解釈は同じだと言えないのかもしれない… なんて、同じ物事を考える時に出てきてしまう二人の距離について必然的に考えてしまいます。そもそも私は自分の立っている場所すら定まっていないので、他者との距離もうまく測れないのですが、「村山君はそこに立つの?じゃあ私はここらへんかな?」なんて相対的な「私」が登場してくるのかなあ、なんて思っています。

それでは改めまして私からも、
展覧会開催までどうぞお付き合いよろしくお願い致します。

小沢裕子

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